日语笔译三级实务模拟试卷5
主观题
1. 広告の最大の特徴は、それがタダだということである。
これは不思議なことにも思える。広告は、市場経済につきものだ。何にでも値段がつくのが市場なのに、どうして広告だけはタダなのか?
広告は、市場の潤滑油のようなもの。市場にはあらゆる商品がひしめきあい、買い手を求めて品質と値段を競っている。買い手が買う気にならない商品は、商品と言えない。だから、買い手を買う気にさせる広告は、市場に不可欠のものなのだ。
そこで、広告はまず、うなぎ屋の店先のにおいである。うなぎ屋のおやじは、蒲焼をばたばたあおいで表通りの客をよびこむ。どうせにおいはタダである。
においがしない商品の場合、仕方がないから「寝具店」などと看板を出す。看板を出すにはコストがかかるが、布団の売値に上乗せしておけばよい。
すべての広告は、この延長上にある。広告は、商品を買うとは限らない(だから不こ特定多数の)人びとにひと足先に届く、商品の「におい」なのだ。広告にコストがかかっても、広告の受け手にそれを請求はできない。実際に商品を買った人ぴとが、それを後払いするのである。
新聞やラジオ、テレピなど、マスメディアが発達すると、広告はそうしたメディアと、ヤドカリとイソギンチャクみたいな共生関係を結ぶことになった。
バブル時代、女性誌や情報誌のなかには、広告を載せるだけで採算がとれてしまい、雑誌につけた定価はついでみたいなものもあったそうだ。じゃあ、私が書いたコラムは一体なんだったのだ?雑誌の本体は実は広告で、ブランド商品のカラー写真のあいだに申しわけなさそうに挟まっている活字の記事は、雑誌という体裁をととのえるために必要な、アリバイみたいなものなのである。
广告最大的特征,是其无偿提供给观(听)众。
这简直让人觉得不可思议。广告是市场经济的产物,尽管市场上什么都标有价格,可为何唯独广告是无偿的呢?
广告宛如市场的润滑油,这是由于市场上所有商品竞相争取购买者而竞争质量和价格,购买者不中意的商品算不上商品。所以,让购买者有购买欲望的广告,是市场不可或缺的。
从这个意义上说,广告就像烤鳗鱼店门前的鱼香,店老板不停地用扇子扇着烤鳗鱼以招揽顾客。反正鱼香是无偿的。
被服之类的商品没有香味,没有办法就挂起招牌。尽管挂招牌需要成本,但只要加在被服的售价上就行。
所有的广告都同此理。也就是说,广告是商品的“香气”,它捷足光临不只是购买商品(所以是不特定的多数)的人们面前。即使广告花费成本,可不能向广告的视听者索取。实际上购买商品的人们后付了这笔费用。
伴随着报纸、收音机、电视等大众媒体的发达,广告和这些大众媒体结成了寄生虫和海藻那样的共生共存的关系。
据说泡沫经济时代,女性杂志和信息杂志中,仅靠刊登广告计算盈亏,杂志的定价似乎无关紧要。那么我写的专栏文章究竟是什么?杂志本身实际上是广告,对不起,你的文章夹在名牌商品的彩照之间,为符合杂志的广告体裁而成了必要的但身在其外的内容。
解析:1.“広告の最大の特徴は、それがタダだということである。”这句话要加译,即“广告最大的特征,是其无偿提供给观(听)众”。
2.“これは不思議なことにも思える”中的“にも”表示强调,这句话译作“这简直让人觉得不可思议”。
3.“広告は、市場の潤滑油のようなもの”这是一个判断句,其中的“もの”是指代 “潤滑油”,这句话译作“广告宛如市场的润滑油”。
4.“そこで、広告はまず、うなぎ屋の店先のにおいである。”根据上下文,这句话中的“まず”表示理所当然的判断,译作“从这个意义上说,广告就像烤鳗鱼店门前的鱼香”。
5.“パブル時代、女性誌や情報誌のなかには、広告を載せるだけで採算がとれてしまい、雑誌につけた定価はついでみたいなものもあったそうだ。”这个句子的主干是“据说……”译作“据说泡沫经济时代,女性杂志和信息杂志中,仅靠刊登广告计算盈亏,杂志的定价似乎无关紧要”。
2. 世の中、タダほど高いものはない、と言う。
テレビのバラエティー番組には社会的使命みたいなものがない(面白ければそれでいい)から、スポンサーが番組に口を出してもだれも文句を言わない。それで番組がもっと面白くなれば、視聴者だって喜ぶだろう。しかし新聞には、社会的使命がある。人びとに真実を伝える、という使命である。
世の中には、たばこを吸って肺がんになる人もいれば、自動車事故で死ぬ人もいる。サラ金地獄で苦しむ人も、変額保険で泣く人もいるのである。そういうニュースに、いちいちたばこ会社や自動車会社のチェックが入ったら大変だ。ニュースと広告は、全く関連を持たないこと。これがマスメディアの、いちばん基本的なルールのはずだ。
このルールが大事なことは、だれでもわかっている。けれども、すれすれのケースはどうか。たとえば「雅子さまはカメラがご趣味」という記事のわきに、さりげなくカメラの広告が載ったケース。「水着で入社式」をして、ちゃっかり二ュースの時間に収まったケース。広告主にしてみれば、ニュースは広告料が要らないうえ人びとも内容を信頼するので、願ったりかなったりである。
これが行き過ぎ、広告を記事に見せかけたりすれば、れっきとしたルール違反。たとえば資源エネルギー庁が今年三月、広告主の名を伏せて新聞に「プルトニウムの安全性」をめぐる記事(そっくりの広告)を載せたケース。内容が偏っているか否か以前の問題として、読者は自分の読んでいるのが記事なのか広告なのかを、知る権利がある。この基本が脅かされるようだと、メディアと広告の幸福な二人三脚は根底からくつがえってしまうだろう。
无偿广告是要人们付出昂贵代价的。
电视娱乐节目没有社会使命(只要精彩就行),广告主在节目中做宣传谁也不会说什么。因此,节目更精彩观众就高兴。与此不同,报纸是有社会使命的,即向人们传达真实这一使命。
现实社会既有吸烟患肺癌的,也有交通事故死亡的,有陷入“白领贷款”(以工薪阶层职工、家庭主妇为对象的高利率小额贷款,因高利贷受害者连续出现,1983年颁布了限制法——译者注)地狱而挣扎的,也有因浮动额保险(参加保险者将保险费投资于股票或债券中,保险金额按其收益实绩而浮动变化——译者注)而哭泣的。这些新闻如一一去烟草公司或汽车厂家核实,那就费事了。新闻和广告是全然不相关的,这是大众传媒最基本的规矩。
这一规矩的重要性谁都知道,但模棱两可如何?如“雅子女士(皇太子妃,小和田雅子的简称——译者注)对照相机有兴致”这一报道的旁边冠冕堂皇地登载着照相机的广告,再如“泳装迎新典礼”这一别有用意的新闻。从广告主的角度来说,新闻既不需要广告费,又能得到人们的信赖,是一箭双雕之美事。
这种做法过了头,把广告看作新闻报道,那显然违法。如政府资源能源厅今年三月,隐广告之名而让报纸刊登了围绕“核能的安全性”的报道(惟妙惟肖的广告)。内容偏颇与否尚且不谈,读者有权利知道自己读的是新闻报道还是广告。如若这一基本权利受到威胁,那就从根本上颠覆了传媒和广告的幸福的两人三脚赛跑。
解析:1.“世の中、タダほど高いものはない、と言う。”这句话根据上下文,可意译为“无ほ偿广告是要人们付出昂贵代价的”。
2.“サラ金地獄”、“変額保険”是固有名词,翻译时需加注。
3.“けれども、すれすれのケースはどうか。”这句话译作“但模棱两可如何?”
4.“広告主にしてみれば、ニュースは広告料が要らないうえ人びとも内容を信頼するので、願ったりかな
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